2009年02月03日
歴史
姫路城の築城者は南北朝時代・1346年
(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範とする
説が有力であり、『姫路城史』や姫路市では
この説を採っています。
一方で赤松氏時代は砦と呼ぶべき小規模なもので、
「城」と呼べる規模の構築物としては、
16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である
黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もあります。
山陽道上の交通の要所・姫路に置かれた姫路城には
黒田氏や羽柴秀吉(豊臣秀吉)が城主として入り、
江戸時代には池田輝政によって今日見られる
天守等が築かれました。
輝政およびその子・孫以降は親藩松平氏や
譜代大名が配置され、さらに西国の外様大名監視のために
西国探題が設置されました。
(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)の赤松貞範とする
説が有力であり、『姫路城史』や姫路市では
この説を採っています。
一方で赤松氏時代は砦と呼ぶべき小規模なもので、
「城」と呼べる規模の構築物としては、
16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である
黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もあります。
山陽道上の交通の要所・姫路に置かれた姫路城には
黒田氏や羽柴秀吉(豊臣秀吉)が城主として入り、
江戸時代には池田輝政によって今日見られる
天守等が築かれました。
輝政およびその子・孫以降は親藩松平氏や
譜代大名が配置され、さらに西国の外様大名監視のために
西国探題が設置されました。
Posted by とっぽぽ at
14:56
2009年02月03日
天守を始め多くの建造物が現存
現在では天守を始め多くの建造物が現存し、
うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、
74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、
塀32棟)が重要文化財に指定されています。
また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産
(文化遺産)に登録されています。
現存天守は、江戸時代以前に建造された
天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、
いわゆる「国宝四城」(通例として、
国宝指定の天守を持つ城のことを指し、
姫路城・松本城・彦根城・犬山城をいう)の一つでもあります。
江戸時代や戦国時代を舞台とした時代劇を
始めとして映画などのロケが行われることも多く、
しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されています。
うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、
74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、
塀32棟)が重要文化財に指定されています。
また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産
(文化遺産)に登録されています。
現存天守は、江戸時代以前に建造された
天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、
いわゆる「国宝四城」(通例として、
国宝指定の天守を持つ城のことを指し、
姫路城・松本城・彦根城・犬山城をいう)の一つでもあります。
江戸時代や戦国時代を舞台とした時代劇を
始めとして映画などのロケが行われることも多く、
しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されています。
Posted by とっぽぽ at
14:54
2009年02月03日
姫路城
姫路城(ひめじじょう)は、
兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にあった城です。
江戸時代初期に建てられた天守や
櫓等の主要建築物が現存し、
ユネスコの世界遺産や日本国の
特別史跡となっています。
姫路城は、現在の姫路市街の北側にある
姫山および鷺山に築かれた平山城です。
日本における近世城郭の代表的な遺構です。
この歴史は中世に赤松氏が姫山に城を
築いたことから始まります(異説もあります)。
戦国時代後期には羽柴秀吉が居城し、
江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏、
のち本多氏や酒井氏などの譜代大名が入城しました。
明治時代には陸軍の兵営地となり、
歩兵第十連隊が駐屯していました。
この際に多くの建物が取り壊されたが、
大小天守群、櫓群が当時の陸軍省の働きかけによって
名古屋城とともに国費によって保存される
処置がとられ、太平洋戦争においては
空襲に見舞われたものの焼失を免れました。
兵庫県姫路市(播磨国飾東郡姫路)にあった城です。
江戸時代初期に建てられた天守や
櫓等の主要建築物が現存し、
ユネスコの世界遺産や日本国の
特別史跡となっています。
姫路城は、現在の姫路市街の北側にある
姫山および鷺山に築かれた平山城です。
日本における近世城郭の代表的な遺構です。
この歴史は中世に赤松氏が姫山に城を
築いたことから始まります(異説もあります)。
戦国時代後期には羽柴秀吉が居城し、
江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏、
のち本多氏や酒井氏などの譜代大名が入城しました。
明治時代には陸軍の兵営地となり、
歩兵第十連隊が駐屯していました。
この際に多くの建物が取り壊されたが、
大小天守群、櫓群が当時の陸軍省の働きかけによって
名古屋城とともに国費によって保存される
処置がとられ、太平洋戦争においては
空襲に見舞われたものの焼失を免れました。
Posted by とっぽぽ at
14:54